鳶ケ山五砦への攻撃
酒井忠次が率いる東三河衆のほか織田軍・
金森長近などの与力に加え、さらに鉄砲火縄銃
500丁を持たせて、鳶の巣砦を中核とする5砦への
翌朝攻撃のために夜間移動を強行させた
(『信長公記』によると、この部隊の人数は約4000名であったという)。
設楽原に留まる織田・徳川の本隊を離れて豊川を渡河、
尾根伝いに鳶の巣山へ近づこうというものである。
作戦は、これに先立つ、同夜の合同軍儀における酒井忠次
からの提言が発端であったが、信長<に一蹴された、という。
ところが、軍議を終えてすぐ信長は酒井忠次を密かに呼びつけ、
作戦の決行を命じた。武田軍の諜報を案じて、軍議では敢えて
採用しなかったのが理由である。鳶の巣山に設けられたのは、
本砦に4つの支砦、中山砦・久間山砦・姥ヶ懐砦・君ヶ伏所砦。
これら5砦は長篠城を包囲・監視するための砦であった。
酒井隊は尾根伝いに鳶の巣山へ近づき、長篠城に注意を払う
5砦を背後から叩いて包囲網を無力化させ、長篠城を救出する
作戦であった。翌、早朝の攻撃は成功し、長篠城の包囲網は
崩壊、落城の目処は無くなった。この攻撃に先立ち、
退路を脅かされることを恐れた勝頼は、野戦にて主力決戦を
行うことを決定した。
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