「シンインテグレーション」の心身の関係性からの説明


  少し長い文章ですが、よかったら読んでみてください。


最初に肉体面でのからだの見方について

からだを構成しているものは、骨格、筋肉、内臓、神経系、血液等・・・いろいろありますが、シンインテグレーションでは、からだをこのかたちに維持、保持しているのは、筋肉等を包んでいる筋膜(等の結合組織)とみます。

筋膜というのは、例えていえば、筋肉は動物でいえば、お肉ですが、そのお肉を包んでいるようなサランラップのようなものです。

その包んでいる膜(サランラップ)がたまたま、つながりあって人間という形をしているととらえます。

からだが本来、動ける範囲の動きをしていると、何も問題はおこりませんが、文明の進んだ現代では、からだを、そんなに限界まで動かさなくても、用は足りるし、又、事務の仕事等で長時間同じ姿勢を続けることが多くなります。

すると、筋膜は、ちょうどサランラップに包んだお肉どうしを、隣どうしくっつけて長い間ほおっておくと、サランラップがくっついてしまうように、筋膜が癒着してしまい、あまり動けなくなってしまいます。

このような見方をする、シンインテグレーションでは、身体面で結局何をするかというと、この主に筋肉を包んでいる膜(サランラップ)が癒着していないかどうか、全身にわたって確認しながら、同時に、手技を使ってリリース(癒着の開放)、例えていえば、くっついてしまったサランラップをはがしていくわけです。
その結果、全身の筋膜が本来の動きを取り戻し、からだのバランスがとれていくわけです。


ここで心理的な側面についてみてみましょう

私自身の例をとりあげると、私は左肩が前にでる傾向がありました。その理由を考えると、身体の使い方や環境が理由だとは考えられませんでした。なぜなら、左肩が前に出る(上半身が右を向く)ということは、下半身がまっすぐに立っていて、上半身が右を向くということで、自分自身をそういう状況におかなくてはならないことはなかったからです。
右を向く必要があるのなら、下半身から(身体全体で)右を向けばよいからです。

ここでボクシングの例を、とりあげてみましょう。ボクシングでは、お互いになぐりあうわけで、それで、なぐられては困るところ、例えば、頭、あご、等を、防御するわけです。同時にパンチをもらってしまう時には、身体を瞬間的に固くして、ダメージを少なくしようとするわけです。

実は、ボクシングのようなパンチという「肉体的なストレス」ではなく、「心理的なストレス」を受ける時も、同じように、その人が弱いと思っていて、ガードしなくてはいけないと思っているところを、無意識のうちにからだを固めてガードしようとするわけです。

私の場合は、それが、左肩の前側であったわけです。その時、肉体的には、その周辺の筋肉が緊張して、そのストレスが過ぎ去るまで、たぶんそういう状態が続いていたのでしょう。
そして、もし、そのストレスの状態が、仕事や学校等のように、毎日かなりの時間、そのストレス下におかれるような状況であるとしたら、毎日何時間とその周辺の筋肉が緊張し続け、つまり、サランラップに包まれているお肉どうしが、長時間押し付けられることになり、結果として、筋膜(サランラップ)が癒着してしまうことになります。するとみごとに、左肩が前にでて、上半身が右を向くからだができあがるわけです。

そして、この状態だと、顔が右を向いてしまうので、本人は、ちゃんと立ってるつもりなのに、右をむいてしまい、おかしいと感じ、たいてい、身体の右側のどこかが、左側の肩周辺での癒着につりあうだけ、右側で癒着がおこるわけです。そうして、その人なりのからだのバランスができあがるわけです。




このような状態のからだにボディワーカーが、手技で働きかける時、いったいどういうことがおきているのでしょうか?

ボディーワーカーは、身体に1つの提案をします。
それは、ここの筋膜は、こんなにがんばってくっついているよりは、もっと力をぬいてリラックスした方が、楽ではないですか!という提案です。
(あくまでも提案なので、うけられる方のことを無視して、ぐいぐいすることはありえません)

 この先に進む前に、以下のことを確認しておきたいと思います
       今、目の前にコーヒーの入ったカップがあって、それを飲みたい場合、
       私たちの手が勝手に動いて、カップを口元までもってくるようなことは、
       ないということです。そこには、必ず、頭からの命令があって、初めて、
       手がカップをもち、口元までもってこれるのです。
       実は、筋膜が、ぎゅっとくっついていられるのも、この頭からの命令も
       関係しているのです。


この提案を身体にした時、身体(ここでは部下とします)は、自分たちが楽になることなので、賛成してくれるのです。それで、筋膜がゆっくりはがれだしていきます。
でもこの時、筋膜をぎゅっとさせている頭(ここでは上司とします)が、「何をなまけているんだ」と、部下(身体)に対して、命令を再びだしなおします。
部下(身体)は、上司(頭)に怒られてしまったので、またがんばって、筋膜をゆ着させます。
でも、また、ボディーワーカーの手が、はがれた方が楽ではないですか!という提案をすると、部下(身体)は、やはり、がんばって筋膜をゆ着させているよりは、楽なので、筋膜がはがれ始めます。
実はボディワーカーが、受けられる方の身体に働きかける時には、その人の中では、こういったやり取りが、何度か繰り返されています。

ここで上司(頭)側にたってみると、上司(頭)も、べつに、部下(身体)をいじめたくてそうさせているわけではありません。
ボクシングの例でみたように、何か、この環境(仕事上のことや人間関係、過去のトラウマ等)では、身体のこの部分が弱いから、守らなければいけない、という思い込みを、上司(頭)がもっていて、それで、部下(身体)に命じて、がんばらせているわけです。


こういう経験はないでしょうか?
      同じ人から、いつもいつも同じことを言われていると、
      そのうち、その言葉を聞き流してしまう、というようなこと。

      たとえば、新しい職場に変わった時に、上司(頭)が、ここでは、
      このストレスには、この身体のここの部分を守らなければならない、
      という思い(込み)から、上司(頭)は、最初の日に、部下(身体)に、
      「仕事中は、申し訳ないけれど、がんばってこの部分を緊張させておきなさい」
      という命令をだします。
      部下も素直に従っているが、時々は、きついので、上司(頭)に
      「きついんですけれど!」と伝える
      それに対して、上司(頭)は
      「もうじき、仕事も終わるから、それまでがんばってくれよ」という。
      仕事が終わり、家に帰ってきたときには、
      上司は、「ご苦労様、もう力を抜いてもいいよ」と、命令を解除する
      そんな毎日が、続く中、上司は、部下から毎日のように
      「きついよ〜」ということを聞くが、毎日のことなので
      そのうちそのことに反応しなくなり、聞き流してしまうようになってしまいます。
      すると、家に帰ってきても、命令を解除せず、
      部下(身体)の訴えも、聞き流しているので、そのことに気づきもしなくなります。
      すると、最初は、仕事中だけだったのが、ずっと部下は、がんばりつづける
      ことになります。

シンインテグレーションというワークは、たとえていえば、この聞く耳を持たなくなってしまった上司(頭、心)に、筋膜がはがれる時の抵抗感という感覚を通して、部下(身体)にメガフォンをを渡してあげるワークということもできるかもしれません。
メガフォンをもった部下(身体)は、メガフォンを通して「きついよ〜」ということを上司にむけて発します。
すると上司は、再びその声を聞くことができるのです。

上司(頭、心)は、先にかいたように、部下をいじめたくてそうさせているわけではないけれど、仕方なくそういう命令を出し続けていた。そのうち、聞き流すようになってしまった。
でもその声を聞いた上司(頭、心)は、それだけ部下(身体)が、嫌がっているんだったら、そのストレスから自分を守る何か別の選択肢はないかな、とまわりを見渡し始めます。(これが、ある意味、視野が拡がることと言ってもいいかもしれません)その結果、何か、別の選択肢をみつければ、その身体の部分を緊張させて防御する必要はなくなります。
また、大人になった今の自分からみれば、小さい時のちょっとしたこと(母親にちょっとぶたれた等でも、その子供にとっては一大事だったりします)が、1つの事実として認識され、その結果、感情的な鬱積やもやもや感などが、解消されることもあるでしょう。

そうしたプロセスをへて、始めて、筋膜のゆ着がリリースされ、そしてその状態が、永続的なものとなっていきます
      



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