どこまでも青い海と深い緑の南国に生まれた。家族総出でみかんを育てた、ふるさとの暮らし。都市部へ近づくにたび、いい知れぬ不安が広がっていった集団就職。クルマをはじめとする部品製造。油まみれになり「つくる」精神が鍛えられた。岡崎で石屋を営む兄(すでに故人)のもとへ。新婚の兄に歓待を受けた夏休み休暇。父絶好調。遮二無二働き、結婚&新築。工場を併設し、恋女房の母を招いた得意げの写真。還暦の祝いに娘たちから招待された家族旅行。さあ出発。

九州天草から横浜へ。
熊本県天草、みかん農家に三男として生まれた。野をかけ海に遊び、家族総出で手伝うみかん栽培。闊達な日々を送った。15歳。地方出身の多くがそうなように、集団就職。別れ際の母、力強く手をにぎったその熱さがいまだに手に残る。長い長い列車の旅、山間部を抜け都市部に移る度に友がひとり減りふたり減り。やがて横浜に。その眩しいばかりの人並みを目にし、不安と新天地への期待が混じり……。

職工から職人に
町工場の職工として働いていたある日、兄を訪ね愛知県岡崎市へ。石職人。原石を吟味しコツコツと叩き仕上げていく。始まりから製品までひとりの手によって完結する。その姿にモヤモヤとした気分が残った。横浜では少しずつ技術を手にし、さらに難度の高い加工に挑んだ。面白い時間ではあったがあのモヤモヤが大きく膨れていった。可愛がってくれた工場長に気持ちをそのままぶつけた。金属加工の発展性を伝えられた。そして最後に「製品すべてをつくり上げる石職人への憧れを」それもよく解ると背中を押してくれた。

つくり上げる楽しさに憧れ。
岡崎の兄へ相談。灯ろう専門の柴新石材へ。石修行が始まった。昼は石粉にまみれ、夜は職業訓練校へ。食べる寝るは充足できたが職人の丁稚奉公、わずかな小遣いのみであった。とはいえ、身体はくたくた、ノミを持つ手は幾度となく腫れ、皮がめくれた。お金を使うヒマなく、石と格闘した。そして独立へ。店の職人だった頃にはできなかった挑戦。透かしの技術をつかった現代的な灯りの製作。さらにお城や灯台といった変わり種まで。還暦を越え、少しペースを落として、じっくり石に向かってみよう。老いてなお石職人でありたいと思っている。

〈文/M・A〉

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PROFILE

1949年(昭和24年)
熊本県天草市の4男2女の三男として生まれる。
1965年(昭和40年)
中学卒業後、集団就職で横浜へ。
町工場に従事。
1966年(昭和41年1月)
休暇を利用して、岡崎で創業した次男の石材店を訪ねる。
すべてを自分の裁量で仕事を進める石材店のあり方に憧れに近い羨望が生まれる。
1966年(昭和41年4月)
灯ろう専門の柴新石材店入社。
1973年(昭和48年)
結婚と同時に独立。上新石材店誕生。
岡崎石製品工業協同組合に加入。
1994年(平成6年)
伝統工芸士認定
1999年(平成11年)
岡崎石工品伝統工芸士会・会長就任
2000年(平成12年)
おかざき匠の会発起人
初代会長就任
2008年(平成20年)
岡崎石製品工業協同組合・理事長就任