海老の史跡-7
薬師堂 身平橋
おこやさま ヨラキ
峠堂 ヨラキ
峠堂 ヨラキ
連谷小学校入口付近
創立不明、本堂改築は昭和55年
(1980)3月吉日と記されている。
石仏は3基あるも建立年月は不明
堂内に安置されている為、風化されず
きれいである。
長泉寺の裏山に数々の石仏あり、
子安観音、庚甲碑3基、馬場観世音供養塔
など木立の茂の中に、元文、天明、天和、
文化、明治などの刻字がわずかに読み取れる。
石段を登ると行者様が建立されている。
行者像 寛政10年(1798)
天保12年から明治初年にかけての
馬頭観音が多い、風化されて多くは
不明である。
如意輪観音 元禄2年(1689)
長泉寺 ヨラキ
宗山堂 ヨラキ
峠堂 ヨラキ
罵倒観世音 真菰
所在 連合字横手
創建 大永4年(1524)
本尊 十一面観音
創建当時は栃久保の石原にあり、
後に数代を経て現在の地に移り
長泉寺と改め延享2年(1745)
海老東泉寺の末寺となる。無住
多くの石仏は風化が激しく、刻字
を読み取ることは出来ない。
延宝7年、亨保18年、文化11年
などが読み取れる程度。
三界正為一翁宗山居士とあるは、
与良木の開祖か、と思えわれる。
観音石仏群
堂内に集められていたので風化することも
なく保存され施主の住所名前も読み取れる。
33番までの石仏と付近に14基の石仏がある。
三十三所観音 慶広2年(1866)
聖観音貞亨2年(1685)町最古
馬頭観世音菩薩供養塔と刻まれた
中央の高い塔とその両側に2基存在
左側の石仏は大正7年(1918)11月吉日
とわかるも右側の石仏は風化が激しく
読みとれない。 方瀬登り口

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