活動記録

絵解きライブ昼の部 (昼の部)

第一幕
 座員・沓名奈都子氏がお届けする『釈迦如来絵伝』。先ずは全体四幅の絵相を紹介する。それは今回の掛け幅では、「誕生」「青年期」「出家・成道」「涅槃」として表されている。
 そこから話は本題へと進む。釈迦が誕生される前に居られたとする天界・兜率天についてご案内。仏教が考える「三世(さんぜ)」を説くことで絵伝初幅の理解を深める。ここから降下して摩耶夫人(まや・ぶにん)の胎内に宿り,生誕したとされている。釈尊に限ってはこの誕生を選び取ってのこと(出世の本懐)であると語気を強め、しかし慎重な表現で絵解きを進める。今回の掛け幅では前生譚(ぜんしょうたん)として描かれているのだ。
 更に話は前生譚から派生して「六道(ろくどう)」へと進む。それぞれの特徴を示して私の内に必ずこころ当たりありと誘導し、聴衆を一望して覚えが在る点をあぶり出す。そこで釈迦ご誕生の逸話「四方七歩」へと展開し「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当安之」をご案内。七歩目の意味を、仏教が考え続けてきた意識の点から切り込み、誕生直後に発せられたこの四句の言を詳解した。
 特に印象に残った場面は、四方に七歩を進まれてというくだりを語られる場面。実際に能楽堂の本舞台を堂々と十文字を描くように歩く。その姿は凜として聴衆を魅了した感があった。どうぞ皆様には仏教に興味ございましたら引き続き座員・沓名奈都子氏の活動にご注目をお願いしたい。


第2幕
 座員・石濱章友氏がお届けする『二河白道』。中国・唐代の僧侶・善導大師が顕した観経疏に登場する。
 先ず話の導入は、文類偈、正信偈に顕される善導章のくだり「善導独明佛正意」。中国で浄土経を大成した功績を讃えることばとして「善導大師が佛様のこころを初めて明らかにされた」という提示によって、それでは何を明らかにされたのかという問いを導きだし話が展開する。更に「しあわせとは何ですか?」と聴衆に投げかける。具体的な事例を日常生活に求め、軽妙なテンポで笑いと頷きを誘う。
 最後には、これまで話を展開してきたもの全てが行き詰まるということを「三定死」として示すと共に、掛け幅の名乗りにもなっている「白道」のくだりへと話はいよいよ佳境へさしかかる。一歩を動機せよ、はじめの一歩を進め、その一歩を踏み出す勇気を・・と。
 特に印象に残った場面は、彼自身がお寺をあずかるという縁を結んでから直面した様々な問題と重ねていると感じられたこと。それによって「白道」のくだりを語る場面では、彼の「信」が余すこと無く発露したように写ったのは筆者だけではないだろう。どうぞ皆様には、引き続き座員・石濱章友氏の活動にご注目をいただきたい。


第3幕
 座員・小山興圓氏がお届けする『黒白二鼠図』。中国風の水墨画調で仕立てられた趣深い掛け幅である。特に小山氏が好むこの仏画を情感を込めて語る。
 絵相を構成する要素についてひとつ一つ意味づけを行う。先ず広野とは、私たちの永い迷いの喩えなりと。ゾウとは無常、井戸は人生、木の根はいのちを喩えている。そこで登場する絵相の名乗りともなっている黒白の二匹の鼠。この二匹は昼と夜を喩えにて、私のいのちが徐々に終わりに近づいていることを暗示する。井戸の周りの四匹の蛇は地・水・火・風の四大を、五滴の蜜は色・声・香・味・所触の五欲の喩える。蜂はよこしまな思いを喩え、火は老病を、そして龍は死を喩えていると指摘する。
 後半は「松山鏡」という古典落語を用いて黒白二鼠図をさらに深めていく。笑える噺であるこの落語は、この絵図を前にすると純粋に笑えないですよねと・・。自分自身の姿を写す鏡が仏教であることを案内した。この指摘は、同じ言葉を使った後出の出講者へと伝播した結果、このライブを貫く課題として聴衆には写ったはずだ。
 特に印象に残ったのは、松山鏡へとはなしが転回した場面からである。この噺の要を熟知しておられる感あり。そしてどこに落とすかと思い聴き入っていると、笑える噺が笑えないという方向へと展開。そうか、ここから絵解きとして用いた「黒白二鼠図(こくびゃくにそず)」が「鏡」となるのだと頷いた訳である。どうぞ皆様には、引き続き座員・小山興圓氏の活動にご注目を戴きたい。



 座長・梛野明仁氏がお届けする『聖徳太子絵伝』。本澄寺が所蔵する江戸期に絹本着色で描かれた絵伝。原画は、明治、大正、昭和と日の目を見ることなく平成の世に至って同氏に見いだされ表装を施されたものである。したがって大変保存状態の良い一品となっている。
 先ずは「誕生」の場面。聖徳太子様のご誕生は、敏達天皇三歳、一月朔日。喜ばれた敏達天皇は宮中に三つの井戸を掘らせて産湯を汲ませ、五人の侍女に囲まれて、七日の後に命名される。名付けて厩戸皇子と。二歳のころに初めて発した言葉が「南無仏」であった。三歳にて芳香を発する太子を抱く侍女とそれに付き従う母君。先に進み出て父君・用明天皇が皇子に問う「もものはな」と「松の枝」どちらを愛でるかと。常緑の松は永木なりと示して松を選ぶ。後に聖徳と諱を送られるこの人物は、日本の文明開化を促した徳と功績を後生に語り継ぐ目的で今日ここにある。史実としての「事実」ではなく、情感としての語り継ぐべき「誇り」を課題としている。それが仏教掛け幅としての聖徳太子絵伝であり故に彼は実在したと絵解く。
 特に印象に残った点は、連日の出講となり琵琶にも負荷がかかっていた模様。この日の法座も掛け持ちで出番直前の会場入り。琵琶の鳴りが少々いつもより調子が出ない感があった。そこに本人も気づいていたことは間違いない。少々琵琶の弾き語りに風を入れ、仕切り直してもう一度と弦を弾く。そのとき音色はこの日もっとも良く鳴っていた。この現場での粋な調整が自然であり一見では気づくひとは少ない。しかし、同氏を追い続けてきた聴衆の中には、この瞬間に痺れたひとがいたことであろう。どうぞ皆様には、引き続き座長・梛野明仁氏の活動にご注目をお願いしたい。

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